神の島のコンテナ4階建の家 特設ギャラリー
クライアントの強い思いが実現させた「あり得ない家」
私はもう既に10年程前から「作家的作品」を作らない方向に転換し、建築に携わっている。
現在の方針、コンセプトは「クライアントの夢をプロフェッションをもって叶える」
そして「コンプライアンス完全実施」だ。
しかしこの建築は「作品主義的」な建築の最右翼に属するように見える。
完成に3年を費やしたこの建築の作家は「私」ではなく「クライアント自身」だ。
彼の強い思いが妥協を許す事なく細部にまで行き渡っている。
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クライアントの強い思いが実現させた究極のコンテナハウジング
建築確認をクリアー出来るコンテナ建築の第一号の「パルシステム千葉_館山営業所」を4年前に作り、その竣工式の日にこのクライアントは沖縄から千葉までその様子を見に来られた。そして次の日に「お願いします」と言われて、足掛け4年の月日が流れこの状態にたどり着いた。簡単に引き受けたものの、技術的、あるいは鋼材を入手するにも、実は大変な道が待っていたのだ。
最も大変だったのはクライアント自身の熱意かもしれない(笑)。決して自分のイメージに妥協することないクライアントは、自分自身でデティールの図面まで描いた。建築家ではない。グラフィックデザイナーのクライアントだ。根を上げた製造工場も2つ。3つ目の工場でなんとか対応してもらった。コンテナ系の仕事では協力し合っている「株式会社デベロップ 」にも多大なる協力をいただいた。
一般的な3階建てくらいまでのコンテナ建築では、工場のある「中国」でも入手可能なJIS鋼材で対応出来るが、この物件では構造材が多様な状態になり、建築基準法をクリアするためには、日本でしか作っていない鋼材を使わざるをえなくなり、一旦日本から中国に鋼材を輸出するなどの対応を取らねばならなかった。当社の現場監督も沖縄に赴き、8ヶ月を過ぎる状態で出張となり、帰って来た時はかなり「うちなーことば」が達者になっていた(爆)。
我々がここや、その他の実績の現場で得たノウハウは莫大なものだ。研究開発と共にある活動は日常ではあるが、コンテナ建築をやるために立ち上げたこの会社も4期目に入っている。4年前の技術力、デザイン力から考えるともう別の場所にいるような気がする。特許も開発し、コンプライアンス重視の部分で上場企業のクライアントも増えて来た。この物件は、我が社の活動を象徴する意味で大きなマイルストーンとなった。コンテナに可能な事が集約されている。
この後竣工する「TSUNODA☆BASE」は縦横組合せの新構造方式である。アルマーニイクスチェンジの店舗は3階建てだ。これも縦横組合せの上に、まるで一部コンテナを縦使いした様なデザインになったり、新たな試みをさせて頂けるクライアントに恵まれて、我々も成長させて頂いている。石垣島では複数の物件でまた新たな試みや、デザイン的な遊びもさせて頂く。
このように仕事をさせて頂いていると、確かに「作品を作ろう」という方向ではなく、クライアントとともに協業作業の中でお互いのイメージをコラボレーションしているという感覚が強くなる。その事とクライアントの夢を実現させる事が重なり合うようになると、我々の活動は到達すべき場所へ向かって収斂している様な気もしてくる。
ISO輸送用コンテナを改造して「キオスク的」ショップを作って楽しんでいた時代からすると、技術的にも、建築としても、コンプライアンス上も、もう随分遠い所へ到達しているのは実感出来る。既に我々のシステムは「ISOコンテナサイズのシステム建築」という所までやって来たのだ。しかも、どうしてもコンテナサイズにこだわっている理由がある。それが一つの建築のマニエラとして正しい事は、今後の我が社の実績が示して行く事になるだろう。
株式会社シルエット・スパイス 代表取締役 大屋和彦(建築家)





























